弁護士俵のブログ/ Abogado TAWARA Cristóbal Kojiro

ラテンアメリカの音楽が超好き

人助けとジーザス

私はクリスチャンで、洗礼を受ける前の期間も合わせれば10年くらいキリスト教の教会に通っています。
この前の日曜日(12月25日)は、クリスマス礼拝に出席しました。

聖書箇所は、ルカによる福音書10章36節と37節でした。引用します(新共同訳)。
(なお、著作権との関係で、聖書を発行している日本聖書協会にはブログで聖書を引用したことを報告済みです)

「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

律法の専門家は、さすが専門家だけあって模範解答を示しました。頭では良し悪しの評価ができているようです。
エスはそんな律法の専門家に対して、手と足を使うように言いました。
頭では正解を叩きだせるけど、イマイチ手と足を動かすことができなさそうな、そんな律法の専門家の心を見透かしているようです。

私はこの箇所から、次のことを読み取りました。
安全な立場から眺めるようにしていたら、わかるものもわからない。
「助ける」という言葉は第三者から見た表現であって、聞こえはいいけど実際やってみるとたやすいものではない。
体を張っていろいろなことに対峙してきただけあって、イエスの言葉には説得力があります。
隣人と、ひいては追いはぎに襲われた人と同じ立場・目線で考えなさい、あなたが求めている永遠の命はそこにあると。

日曜になるといつも1週間の自身の動きを振り返りますが、反省点ばかりです。
さらに1年を振り返ると、当事者の方と同じ立場・目線で考えることができたかを1年分振り返ることになり、反省点は多く残ります。
まるでぷよぷよのように反省点が積み重なっています。

来年はどういう働きができるか、年末年始でじっくり考えたいと思います。