弁護士俵のブログ/ Abogado TAWARA Cristóbal Kojiro

ラテンアメリカの音楽が超好き

在留資格と刑事事件

※これは、ブラジル出身である私が歩んでいたかもしれない、架空の事例です。

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ブラジル国籍のオッタビアーノさんは、関東の刑務所に服役していました。

日系人」の父とその配偶者であるブラジル人の母が、日本に出稼ぎをするということでオッタビアーノさんも来日しました。
オッタビアーノさんは11歳でした。地元の小学校の6年生に編入しました。
日本語は難しかったけれども、クラスの友達が優しくしてくれて、日本語が話せるようになりました。
教育熱心な親に育てられて、学校の成績は良く、都内では有名な大学に進学しました。
当時通っていた大学の友達の家でお酒を飲んでいたら、そこには大麻を吸っている人がいました。
大麻を分けてもらい、タバコを吸う感覚で吸ってみたらとても気分が良くなりました。
ビールがなくなったのでコンビニに行ったら、たまたま警察官に職務質問をされ、ポケットに入れていた大麻が見つかりました。
オッタビアーノさんは、そのまま警察に捕まりました。

接見に来てくれた弁護士は帰り際にいつも、「あなたは初犯だから執行猶予がつくし、日系人だから大丈夫でしょう。」と言っていました。
その弁護士が言うとおり、裁判官は3年の執行猶予を付けてくれました。もう二度とやってはいけませんよと言われました。
4ヶ月ぶりに東京拘置所を出れると思ったら、法廷の傍聴席にいた入管の職員が立ち上がり、品川入管に連れていかれました。
実家に電話をかけてここから出して欲しいと伝えたところ、いろいろな手続きを経て、家に帰ることができました。
その後、何回か入管に呼び出され、特別なんとか許可、というものをもらえると言われました。
親が手続きをしてくれていたので、休学していた大学は卒業できました。
だけども、自分の過去を隠しての就職活動はできませんでした。

正直なオッタビアーノさんは、履歴書の賞罰欄に「なし」と書くことがどうしてもできませんでした。
24歳のときでした。

オッタビアーノさんは知り合いに紹介してもらった会社で働いていました。
親にはもう迷惑をかけられないから真面目に働こうと、平日は遅くまで仕事をしていました。

ある日、同僚と飲みに行った帰り道で、同僚は通行人と肩がぶつかりました。
同僚がその通行人につかまれているのを見て、オッタビアーノさんは通行人を引きはがそうとしました。
同僚が通行人に殴られそうになったので、オッタビアーノさんはその通行人を殴ってしまいました。
力を入れすぎたこともあって、通行人は電信柱に頭をぶつけて血を流しました。
現場にかけつけた警察官に事情を聞かれ、オッタビアーノさんは正直に答えましたが、そのまま傷害罪で逮捕されました。
接見に来てくれた弁護士は足を使っていろんなところに行ってくれましたが、それでも起訴されてしまいました。
裁判を経て、オッタビアーノさんは、刑務所に入ることになりました。

軽率な行動をしてしまったこと、家族に迷惑をかけてしまったことを深く反省して、
オッタビアーノさんは刑務所でまじめに作業をしていました。
刑務所の先生には、まじめに働いたことが評価されて、仮釈放すると言われました。
予定よりも短い期間で外に出れることをオッタビアーノさんはとても喜びました。面会に来てくれた家族も喜んでくれました。
だけども、その後、刑務所に入管の人が何度も来て、いろいろと質問をされました。
ブラジルに帰らないと行けないと言われました。
それは困るよ・・・ブラジルに親戚はいるけど、おれは日本で育ったのに。。
ブラジルには帰りたくないと言ったものの、それはできないと言われました。

仮釈放の日、オッタビアーノさんはすぐに家に帰る予定でしたが、入管の職員が刑務所に来ました。
そのまま入管に着いたら、ブラジルに帰ってください、仕事はできません、
毎月入管に来て仮放免の更新をしないといけない、と言われました。

オッタビアーノさんは働き盛りの26歳ですが、働いてはいけないと言われています。
だけども、ブラジルに帰らないのだろうか、この生活がいつまで続くのだろうかと、先が見えない状態です。
日本で人生をやりなおすことは、できないのでしょうか。

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繰り返しになりますが、これは、ブラジル出身の私が歩んでいたかもしれない人生を書いたもので、架空の事例です。
現在、入管法改正案の議論が行われており、そこでは、前科のある外国人云々といった話がされています。
しかし、他の弁護士の皆さんもそうだと思いますが、
私から見えている「前科のある外国人」は、上記事例のオッタビアーノさんのような、普通の人です。
どこかで道を踏み外してしまうリスクは、誰にでもあるものだと私は思っています。

弁護士は安全な立場にいるからそう思えるのだと言われたら、それはそうかもしれません。
だけども、ご本人の代理人として、また、弁護人として、少しでもご本人と近い目線から見える景色があります。
そのことをお伝えしたいと思って、ブログを書きました。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScU-H9SfUCDwpjoCOZKhfLxWqx-w4CaEExUnkZ-E04LKT_d-w/viewform?vc=0&c=0&w=1&flr=0&fbclid=IwAR1QZzfDfLyt_tKMGk363hwLxsE9Dew538z1Xg-DIUkg66FSIDFI9hQtJEE

JFCネットワークの総会に出席

本日はJFCネットワークの総会に参加しました。

www.jfcnet.org

JFCネットワークとは「日本人とフィリピン人の間に生まれた子どもたち(Japanese-Filipino Children:JFC)を支援するNPOです。」(JFCホームページより)
「1980年代から日本へ働きに来るフィリピン人女性の増加に伴い、日本人男性との出会いが増え、両者の恋愛・結婚、そして両者間に生まれる子どもたちも増加しています。幸せな家族を築いている日比家族が増えている一方、中には日本人の父親に養育放棄されるなどのために精神的・経済的に苦しい生活を余儀なくされている子どもたちも多いのです。こうした子どもたちの人権を守る活動をする目的で設立した市民団体です。」
(設立目的:https://www.jfcnet.org/about/start/

私が過去にJFCさんからご相談を受けて、担当させていただいたケースは、おおまかに、
日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれたお子さんが、日本人の父親に対して認知をしてもらえるよう私が代理して交渉するという内容でした。
ある時までは交流があったものの、ある時から交流が途絶え、父親に会うことができなくなった。
自分も物事の分別ができる年齢になった。父親と自分との関係を父親に認めてもらいたい。それに、お父さんに会いたい。
そうしたご要望をいただいて、法的にできることをやらせていただきました。

私が弁護士の仕事をしていて、特にやりがいを感じるのは刑事と家事です。家事には相続、離婚やこうした認知の事件も含まれます。
勘の良い方はご自分でも複雑な行政の手続をこなせますが、しかし、国をまたぐと難しいようで、やはりそこは法律のプロの弁護士がお役に立てる領域だと思います。
人の生き方について偉そうにどうこう口出しする立場ではないので、家族関係の良し悪しを判断することはしません。
法的にできることを淡々と進めるだけですし、感謝をしてもらいたいと思ってやらせていただいているわけではありませんが、
それでも、結果が出た後、ご本人から大変丁寧なお礼のお手紙をいただいたときは、本当に嬉しかったです。

JFCさんは日本とフィリピンに事務所を構え、当事者の方々からの声を集めて、様々な支援をされています。
スタッフの方々とは頻繁にやり取りをさせていただきますが、熱心なご活動には頭が上がりません。
法的なインフラとして大変重要な役割を担っているJFCさんの設立目的に賛同して、私は昨年から正会員になりました。
とはいえ、同業者の間でもあまり知られていないようなので、今日はJFCさんを紹介させていただく記事を書きました。

同業者向け案内「渉外事件入門」(令和5年2月17日開催)

【同業者向けのご案内】
 来週金曜(2月17日)に、私が事務局をさせていただいている外国人ローヤリングネットワークという団体で、渉外事件入門と題して、ソロでお話をさせていただきます。
 いわゆる外国人(といっても帰化した元外国籍の人、日本人で外国籍の人と婚姻した人、外国をまたぐ相続をする人など様々)が当事者になる案件について、
・受任
在留資格(メイン)
・退去強制事件
・刑事事件と在留資格
家事事件在留資格
について、浅く広くお話をさせていただきます。
 さきほどちょうどパワポを作り終えて、数えてみたらスライドは87枚になりました(100分ほど話す予定ですが全くおさまらなさそう)。
(以下、告知文)
第137回LNFゼミ「渉外事件入門」のご案内(令和5年2月17日開催)
LNF会員の皆様
平素より大変お世話になっております。
この度、第137回LNFゼミ「渉外事件入門」を、以下のとおり会場、及びオンラインにて開催することになりました。皆様ぜひご参加ください。
日  時: 2023年2月17日(金)午後6時30分~午後8時30分
テ ー マ : 渉外事件入門
講  師: 俵公二郎 弁護士(東京弁護士会
実施方法: 以下の会場、及びズームウェビナーにて開催
会  場: 日比谷図書文化館4階 スタジオプラス(小ホール)
      〒100-0012東京都千代田区日比谷公園1-4
      https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/hibiya/#access
 近年、様々な背景から外国人・外国にルーツがある人の数は増加しています。そのようなバックグラウンドを持つ人が相談者・依頼者になる、家事・労働・刑事・一般民事等の事件(渉外事件)は今後増えていくでしょう。渉外事件は通常の事件とは異なる部分があります。弁護士には、その特徴を大まかにでも把握しておくことが求められます。
 今回のゼミでは、数多い渉外事件の論点のうち、基本的な部分を講師にお話しいただきます。講師の俵弁護士は渉外事件に数多く接しており、渉外関連諸団体でも活動をしております。
 国際的な事件に興味があって弁護士になった新人弁護士の方や、渉外事件が増えたと感じている中堅弁護士の方、ぜひご参加ください。
参加対象:LNF会員、準会員
※ 会員又は準会員となる資格を有する方で、まだ会員又は準会員となっていない方は、当日までにLNFに御入会いただきます。各年度の4月1日時点で法曹資格取得から満2年以上経過していない方を除き、年会費5000円が必要となりますので、事前に納付していただきますようお願いいたします。
 なお、ロースクール生、大学生等で参加を希望される方は、事務局までご相談ください。

※続きはLNFのHPをご覧ください。
www.lnf.jp

人助けとジーザス

私はクリスチャンで、洗礼を受ける前の期間も合わせれば10年くらいキリスト教の教会に通っています。
この前の日曜日(12月25日)は、クリスマス礼拝に出席しました。

聖書箇所は、ルカによる福音書10章36節と37節でした。引用します(新共同訳)。
(なお、著作権との関係で、聖書を発行している日本聖書協会にはブログで聖書を引用したことを報告済みです)

「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

律法の専門家は、さすが専門家だけあって模範解答を示しました。頭では良し悪しの評価ができているようです。
エスはそんな律法の専門家に対して、手と足を使うように言いました。
頭では正解を叩きだせるけど、イマイチ手と足を動かすことができなさそうな、そんな律法の専門家の心を見透かしているようです。

私はこの箇所から、次のことを読み取りました。
安全な立場から眺めるようにしていたら、わかるものもわからない。
「助ける」という言葉は第三者から見た表現であって、聞こえはいいけど実際やってみるとたやすいものではない。
体を張っていろいろなことに対峙してきただけあって、イエスの言葉には説得力があります。
隣人と、ひいては追いはぎに襲われた人と同じ立場・目線で考えなさい、あなたが求めている永遠の命はそこにあると。

日曜になるといつも1週間の自身の動きを振り返りますが、反省点ばかりです。
さらに1年を振り返ると、当事者の方と同じ立場・目線で考えることができたかを1年分振り返ることになり、反省点は多く残ります。
まるでぷよぷよのように反省点が積み重なっています。

来年はどういう働きができるか、年末年始でじっくり考えたいと思います。

今月読んだスペイン語関係の本

担当させていただいていた案件が先月と今月でいくつか終結して、今月は時間ができました。
時間ができたのでスペイン語の勉強をしていました。
ということで、今月読んで良かった本をいくつか紹介します。

スペイン語の語源」

大変勉強になりました。
英語でもそうですが、スペイン語でもなんとなく、
形が似てたり意味も似てるから、語源が共通してそうな言葉がいくつかあります。
例えば、decir(動詞:言う)、predición(名詞:予言)、contradicción(名詞:矛盾)、diccionario(名詞:辞書)は形も意味も似てる。
きっとどこかでつながっているはず。ではdictador(名詞:独裁者)は?どうつながっているのだろうか。わからない。
それとか、escapar(動詞:逃げる)のesはたぶん外の意味だけど、caparは何??とかありました。
これまで頭の中でぼんやりとしていたものを整理していただきました。大変勉強になりました。
スペイン語初学者、第二外国語スペイン語を勉強された方にもおすすめできます。

「気持ちが伝わる!スペイン語リアルフレーズBOOK」

知らないフレーズが山ほどあるので、やらなければと思って買いました。
いざ読んでみると、それぞれのフレーズについて、これはなぜこのように言うのかと実に詳しい解説がありました。
どこかそのへんの出所が怪しい情報とは異なり、信頼してインプットができる素晴らしい教材でした。
この本が大変良かったので、同じ著者(福嶌教隆先生)の「スペイン語の贈り物」もポチりました。

「例文で覚えるスペイン語熟語集」

シンプルな熟語集でした。
例文がきっちりついていて助かりました。

「新・スペイン語の落ち穂ひろい」

腰を据えて読む本ではないと位置づけており読了できてませんが、ぼちぼち読み進めています。
細かいニュアンスを教えて下さる、実に貴重な本です。
ここに書いてあることを全て覚えられたら、、と思っています。

94年ワールドカップと訴訟提起及び執行停止の申立て

今日は代々木公園で開催されていたブラジルフェスタにでかけました。
そこで手首に巻くバンドをもらいました。青地に黄色の文字でBRASILと書かれています。

私はこのバンドを見て、94年のワールドカップ勝戦(ブラジル対イタリア)を思い出しました。
イタリア代表は白のパンツに青のシャツ、ブラジル代表は青のパンツに黄色のシャツでした。
当時私はリオデジャネイロに住んでおり、自宅のテレビに貼り付いて試合を観ていたのでよく覚えています。

この試合は0対0でPK戦に持ち込まれました。先攻はイタリア、後攻はブラジルでした。
両チームの1人目は外し、2人目3人目はゴールを決め、ブラジルの4人目のドゥンガが決め、他方でイタリアの4人目は外しました。
この時点でブラジルは3点、イタリアは2点。イタリアの5人目が外せばブラジルの勝ちという展開でした。
全世界が見守る中、ロベルトバッジオが蹴ったボールはゴールポストの上を越えて外れ、ブラジルが勝ちました。

弁護士1年目の時、とてつもないプレッシャーの下で判断を迫られた時のことを思い出しました。
当時、私の依頼者は刑務所におり、某日仮釈放されることが決まっていました。
他方、刑務所内で依頼者に対する退去強制手続が進んでいました。
依頼者からは退去強制を争いたい、ひいては訴訟を代理して欲しいとの依頼を受けておりました。
この状況で、仮に何もしなければ、理論上、私の依頼者は仮釈放と同時に強制送還される可能性がありました。
依頼者が強制送還されれば取返しがつきませんし、その後の訴訟追行にも極めて大きな支障を来たします。
そのため、訴訟提起と執行停止の申立てをする必要がありました(細かい解説は割愛します)。
しかし、訴訟提起と申立てをするとしても、その対象となる退去強制令書は依頼者に対して交付されません。
退去強制令書が発付されているかどうかがわからないため、こちらとしては訴訟提起と申立てに踏み切れません。
また、依頼者は刑務所にいるため「令書が何月何日に発付されました」との連絡をすぐに確実に受けることができません。
したがって、こちらとしては訴訟提起と申立てをいつするべきかがわかりません。
しかし仮釈放の日は迫っている。こちらが何もしないと訴訟提起と申立てをしなければ、最悪、依頼者が強制送還されてしまいます。
どうすればいいんだ、、、、と弁護士1年目の私は悩みに悩みまくっていました。

私はひとつの賭けに出ました。
これまでの経緯から、入管は仮釈放の日までに退去強制手続をすべて終わらせるはずである。
したがって、仮釈放の日までには退去強制令書が発付されている。
そうであれば、仮釈放の日と同時に、訴訟提起と執行停止の申立てをすれば、裁判で必要な要件は全て満たすはずである。
もし仮釈放の日までに退去強制手続が終わっていなかった場合、その後に訴訟提起と執行停止の申立てをするしかない。
しかし、その場合、タイムラグが生じて依頼者は強制送還されてしまうかもしれない。
でもこのリスクは排除できない、それはその時考えて全力でできることをするしかない。

この日しかない。もし依頼者が強制送還されて裁判ができなくなったら依頼者に説明ができない。
その時は弁護士をやめる。私は覚悟を決めました。

仮釈放の当日、詳細は割愛しますが、様々な情報が私のところに来て、私の読みが当たり、訴訟提起と執行停止の申立てができました。
依頼者が強制送還されることはなく、その後裁判をすることができました。

もしこの時、私の判断が外れていたら依頼者はどうなっていたのか。考えるだけでもおそろしいです。
ロベルトバッジオの判断は結果として外れてしまいましたが、しかし私もそうなっていたかもしれない。
私と比較できるかわかりませんが、ロベルトバッジオもとてつもない状況で判断を迫られていたはずです。

当時小学生だった私は無邪気にブラジルの優勝を喜んで、そのへんを歩いている地元の人と喜びを分かち合っていました。
しかし、何かを背負って覚悟を決めて生きることの意味が分かったのは、ずいぶんと後のことになりました。

10年前から

昨日は久しぶりに大学の時の友達に会いました。最近何してるの?と聞かれて
「入管訴訟に力を入れている」
と答えたら
「俵のすごいところは10年前から同じことを言っていることだ」と言われました。
たしかにその通りで、オーバーステイで何が悪いとか、日本経済を支えてきた外国人の労働者に在留特別許可を出せとか、10年前から言っていました。
「自分の話をするとモテない」という衝撃的な事実を1年くらい前に教えてもらってから、自分の話を人前でもインターネッツでも控えてきたのですが、もう36歳のおっさんだしモテても仕方がありません。

大学の勉強は真面目に頑張ったけどあまり得意ではなくてそっちの方では芽が出ませんでした。
勉強が得意で修士に進んだ友達がうらやましくて、人より秀でたものを自分は大学で得られなかったと落ち込んでいました。

他方で、私は大学生の時に良かったことが3つあります。
ひとつは今の仕事につながる出会いがあったことです。
もうひとつはスペイン語の授業を全力で履修してみたところ、語学の勉強が得意だし大好きだということもわかりました。
昨日はミャンマー語でありがとう及びベンガル語とヒンディーで平和を意味する言葉を覚えました。
気がつけば中国語を勉強して資格を取ってみたり、スペイン語に挫折してポルトガル語に浮気をしてみたり、インド人の友達ができてヒンディーを勉強したり、シンハラ語の教科書を買ってみたりと、語学の教科書や辞書が本棚を埋めるようになりました。
そして、とある方(師匠)にスペイン語の音楽を教えてもらいました。サルサとかポップスがすごく好きになり、今でもずっと好きです。

大学生の時は実感がありませんでした。
だけどもこの10年を振り返ってみると、実は大学生の時に見つけたことに支えてられていたのだとしみじみ思います。

昔の考え方では、ボートを漕ぐように背中の方向に進むことが未来への進み方だと教えてもらったことがあって、今ではそれがしっくりきています。
これから先はどうなるかわからないけれども、その時その時の出会いを大切にして、ボートを漕ぐように進んでいくのだと思います。